入園式どうなるんだろう?
休む電話いつしようかな。
と思っていたところ、園から入園式の案内が届きました。
入園式の4日前の事です。
内容は、
・保護者は1人までの制限
・ホールでの入園式ではなく、各教室で担任からの話と書類の配布のみ
・風邪やくしゃみをしている場合、マスクの着用をお願いします
というもので、入園式は決行する模様です。
翌日、園に連絡をして入園式からしばらくお休みを下さいと連絡を入れました。
そう考えた経緯と、危機感を弱めるバイアスについて今日は解説したいと思います。
休むか悩んでいる方
休ませていて心配な方
自分の意志で決定する
入園式から3日経過した今でも、私と息子は自宅で過ごしています。
最低でも3週間は休むつもりでいます。
入園式前日に、電話にて休みの連絡しました。
園側は快く了承してくれてホッと一安心。
うちの園では17日までは自由登園みたいです。
入園式当日は、正午に書類だけ受け取りに園に行き、門で家族写真を撮り帰宅。
ここまでして休んだ理由は、
家族の命が最優先だから
です。
幼児でも重篤化することがあると分かっている以上、リスクをとってまで記念日を作らなくてもいいという判断です。
生きていれば入園式は家族でできます。
命あってこその人生、生き抜くことが何より重要だと思います。
他の子はどうしてる?
自ら先生に聞いていません。
新学期が始まる前だったので、先生も入園式の翌日になってみないと分からない様子でした。
他の家庭事情を聞かない理由は、聞いたところで自分の意思が変わらないからです。
日本人は共感能力が高い反面、人と違う行動をとると叩かれやすい傾向があります。
私は自分の事は自分で決めて責任を持ちたいので、その辺が欠けているというのが一つ。
もう一つは、専業主婦だからです。
パートだったとしても、仕事を辞めて園を休んだでしょうがねw
SNSなどを見ていると、ほとんどの子が登園していたり、酷いと先生から嫌味を言われることもあるようです。
いじめにあっても仕事や学校へ無理して行って自殺って、悲しいじゃないですか。
死ぬくらいなら、行かなくてもいいっていう感覚です。
命より大事な物ってないですよ。
周りに同調して、命を危険にする方が愚行だとさえ思います。
根拠のない自信 正常性バイアス
なんて一瞬でも甘い考えをもってしまう、恐ろしいバイアスが人には存在します。
その中の一つが、正常バイアスです。
バイアスというのは、英単語の「bias」をカタカナにした言葉です。
直訳すると斜め、偏見、先入観となります。
心理学や統計学の分野でよく使われているのを耳にしませんか?
「自分だけは大丈夫」
そんな風にどこか他人事に思えてしまうのは、正常性バイアスという先入観が無意識に働いているからです。
例えば、2011年3月11日に起こった東日本大震災によって起こった津波。
大丈夫と避難しなかった、もしくは避難が遅れて津波被害に遭った方もいらっしゃいます。
2014年9月27日の御岳山噴火。
頭蓋骨を貫通するほどの勢い(時速350キロ~400キロ)で噴石が空から降ってきているのにもかかわらず、写真を撮っている人。
御岳山噴火による死者58人のうち、20人は頭蓋骨や首に噴石が当たって即死でした。
彼らは噴火の写真を撮影していました。
携帯電話を持ったまま亡くなった方もいます。
客観的にみれば、どうして早く逃げないんだ!?と思うかもしれませんが、当事者になると「自分だけは大丈夫」という根拠のない自信があるんです。
緊急事態の時、落ち着いて行動ができる人は全体の10~15%と言われています。
自分だけは死なない
自分だけは感染しない
それは正常バイアスという心理が働いているからです。
そのフィルターを一度外して、「死ぬかもしれない、感染しているかもしれない」と脳内で書き換えると行動も変わります。
だから無意識に働くんです。
緊急時でも正常な判断ができる人間でありたいですね。
3つの選択肢だと中間を選びやすい
炊飯器を選ぶとき、
・必要最低限の機能付き 8,000円
・型落ち機能はほどほど 19,000円
・最新の炊飯器 35,000円
と言われたらどれを選びますか?
多くの人は真ん中の型落ち炊飯器を選択します。
これは「極端の回避性(松竹梅の法則)」といって、商品の売り込みなどに使われる基本的な行動経済学の一つです。
中間を選びやすいのは、妥協できる理由
つまり、その商品を買った理由が簡単に見いだせるから
安くてすぐ壊れるかも、炊き具合も最新のより劣るだろう。
最新は欲しいけど、思っていたより高い。
型落ちなら最新とさほど変わらないし、性能で予算も高すぎない。
これがその商品を買った理由になり、購入した後は満足感が得られます。
今回の場合は、
入園式に参加または不参加の2択の中に、3つ目の選択肢。
最小限で済ませる入園式が増えて、3択になりました。
10分、20分の事だから。
人数も少ないし。
折角の記念日だから。
そう思った時こそ、極端の回避性だ!と思い出してください。
状況は常に変わっている
私はあえて選択肢を極端にすることで、今回のお休みを決めました。
入園式に行ったら家族の誰かが死ぬ
自宅待機なら死なない
こう考えればすぐに自分の取るべき行動が分かりますよね。
そこまで深刻に考える理由は、もうすでに2週間前とは状況が変わってきているからです。
武漢小児病院などの医療機関による『Pediatrics』という論文によると、
2143人の小児患者の平均年齢は7歳。
無症状 4.4%
軽度 50.9%
中度 38.8%
重篤または危篤 5.9%
この5.9%を年齢別にすると、
1歳未満 10.6%
1~5歳 7.3%
6~10歳 4.1%
11~15歳 4.1%
16歳以上 3%
だそうです。
これも信憑性があるかどうかはわかりませんが、少なくとも子供が重篤化することが分かりました。
入園式で保護者を1人までと制限したところで、その可能性がある限り自己判断は必要だと考えます。
4~5歳でも指は口にするし、鼻や目に手を入れますからね。
無症状もあるので、人様に感染させる可能性も否定できません。
このデータを見て、「中国のだから信用できない」「それでも子供が重篤化しにくい」と思うのは『確証バイアス』という心理が働いているかもしれません。
確証バイアスとは、
自分が正しいと思った考えを肯定する情報だけを鵜呑みにして、反証情報には触れない、信じないといった傾向が強いこと
中国のデータは信用できないという先入観のフィルターにかけることで自身の中で価値のないデータにする。
子供が重篤化する事例があるにもかかわらず、他の年代より大丈夫と都合のいいように解釈する。
確証バイアスは誰にでも起こる心理です。
例えば、血液型占いが分かりやすいです。
初対面の人がA型なら几帳面で、気づかいができる人と認識してしまう。
人間の性格は複雑です。
几帳面な部分があったとしても、全てに対して几帳面。
全ての人に気づかいができるかは、相手にもよるでしょう。
自分は正しいと思っていたいのが人間です。
間違いを受け入れるという行為は、屈辱的ではありませんか?
大人が素直に「ごめんなさい」と言えないも、確証バイアスのせいかも。
確証バイアスを回避するには、
・自分の意見に常に疑問を投げかける
・真逆の意見を受け入れる
・実際に経験してみる
などが効果的です。
つまり、凝り固まった思考を柔軟にしましょうということですね。
新型コロナウイルスに対して「大丈夫」
先週、ご近所の気さくなママさんと会話する機会がありました。
私はコロナ報道が始まった3月上旬からずっとひきこもりだったので、心配してくれていたようです。
(基本的にいつも引きこもってはいますが)
小学生の娘が2人いる方で、話題はコロナというより今後の子供の生活の話になりました。
と二つ返事されて、内心ポカーンとしていたんです。
ご近所ママさんは、5分くらいの会話のなかでも「大丈夫」と10回近く口にしていました。
自分に言い聞かせているようにさえ聞こえるほど。
登校開始日の朝
その日の朝は、人の話し声で目が覚めました。
何かなと思ったら、今日から学校が始まる小学生たちの集団登校と、その見送りをする母親たちが家の前で集まっているではありませんか。
30程度の人数で、母親の数人は携帯で見送る子供の写真や動画を撮っていました。
子供の登校を見届けると、母親たちは2~4人のグループになって井戸端会議が始まっていました。
と言っていたママさんもその中の一人でした。
彼女たちは知っているだろうか?
・スペインではショッピングモールのスケート場が死体安置所になっていることを
・ニューヨークでは遺体安置所が収容能力の限界なこと、冷蔵トラックに遺体を詰め込んでいることを
・ワクチンが開発されるまでに最低でも1年以上はかかることを
・志村けんさんのように、家族に会うことも、お骨を拾う事も許されない新型コロナウイルスによる悲しみを
自分の家族は若い世代だから大丈夫なんでしょうか?
園で働く50代、60代の方に対して大丈夫と言えますか?
どう大丈夫なのか、その根拠を考えてみてください。
インフラが整っているからこその安心
日本人が平和ボケしている理由の一つに、インフラが整った環境が当たり前ということがあると思います。
道路や鉄道、水道、電気、電話、通信、学校、病院、ダムや物流。
みんな私たちの中に溢れるほどある生活に慣れています。
世界規模でみると、非常に恵まれた国。それが日本です。
例えば、蛇口から水がでなくなったらどうですか?
私たちの生活に直接ダメージがありますよね。
下手したら死ぬことも考えられます。
関東圏の方は、東日本大震災による停電が続く日々を忘れてしまったのでしょうか。
医療崩壊もインフラの一つです。
何かあったら病院に行けばいい。という常識が覆されることもあります。
というか、覆されつつあるという言い方が正解かもしれません。
マスクや防護服といった衣料資材不足
医療従事者が新型コロナウイルス感染
ベッド数や人工呼吸器数以上の患者数
どこがかけても医療崩壊は起こる可能性があります
それに、医療従事者もみんな人間です。
自己犠牲までして人に尽くすことに疲れて当然なんです。
同じことを自分もできるかをよく考えてみてください。
天職だと思っていた医療現場を離れたブログ
最後に新型コロナウイルスが原因で、天職だと思っていた医療現場から退いたhatoさんのブログをご紹介します。
1000人以上の命を救ってきた方が、新型コロナウイルスを通して人の醜さを垣間見たことにより、もう人の命は救えないという内容です。
こういう方もいるという事を受け止めて、自分の行動に責任をもってほしいと思います。
国の対応の遅さ、じれったさ。
共働き、休めない職種。
皆が大変な時期ですが、『自分にとって何が最優先なのか』を思い出してください。
それがきっと後悔しない選択肢です。